岡山県美作市の水害(1日目)

This entry was posted by kharuna 土曜日, 15 8月, 2009
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えーっと、僕はかれこれ33年生きてますけど、水害というものに初めて出くわしました。床上浸水だったのですが、くるぶしのところまで水が来て、畳を2階に上げたり、位牌を移動させたり、浸水してきて思いつく大事なものをとにかく濡れないようにしました。

1日目(2009年8月9日)の写真です。

洪水中です

この日は、会社の9連休の初日で、偶然にも僕が徳島から実家の岡山に帰った日でした。20時前くらいに家に到着して、晩ご飯(コロッケ)を食べ、「いやぁ、雨すごいなぁ。」と言っている時でした。うちの母が、

「ちょっと!お店に水が入ってきてるわ!はよ、こっち来て!」

と食卓にいる父と僕を呼んだのでした。うちは、お店と住居が一体になっているタイプの家屋で、一番床が低いお店から浸水したのでした。でもこのときはまだ、「床上浸水」などという言葉は夢にも思わず、「ありゃまー。」と思ったくらいでした。

しかし、父が2階に上がり、外の様子を見たときに

「おい!外がすごいことになっとるぞ!」

と呼ばれたので、僕も2階に上がって外を見たのでした。・・・衝撃的でした。僕の家の前は179号線という国道が通っているのですが、その道が「激流」になっているのです。川になっているのです。アメリカのグランドキャニオンを生で見たときも衝撃的でしたが、国道が水で覆われているのも別の意味で非常にショッキングな映像でした。

やや茫然とした後、1階に下りてみて、その水位を見てみました。すると大体僕の腰くらい、1メートル弱くらいでしょうか、それくらいの水位がありました。そして、玄関を見ると、じわじわとドアの隙間から水が入ってくるではありませんか!そしてドアの外の水位も上がっていき、最終的には僕の首くらい、160センチくらいになりました。ドアを開けると一気に水が入ってきそうな勢いです(さすがに開けませんでした)。

外の水位が上がると、やはり圧力の関係で浸水速度も上がり、どんどん水が家の中に入ってきます。まず玄関の靴が濡れ始め、次にはいよいよ床上にくるかも、というところでした。ついに家族全員、「これはやばい。」という認識になり、位牌を2階に上げました。その前に、電気がショートして停電してしまったので懐中電灯を点灯しました。乾電池がなかったりして、こういうときのためにやはり乾電池などは日頃からチェックした方がいいなと思いました。

次に畳を濡れないようにしようということで、和室の(多分普通の畳よりも高価な)畳を2階に上げることにしました。畳の外し方は、マイナスドライバーを畳と畳の間に差し込み、てこの原理でぐいっと畳を持ち上げます。そのようにして1枚外すと、次から次へと畳を外すことができます。今回、下部が少し濡れてしまいましたが、それほど濡れてない状態で2階に畳を上げることができました。ただし、そのようにできたのは、一部の畳だけで、祖母の部屋の畳などはすべて水浸しになってしまいました(当然ながら廃棄処分)。

うちはお店(薬局)をやっているので、商品もいくつか2階に上げたのですが、本当に少しだけで、他の殆どの商品は水没してしまいました。パソコンは、データが詰まっているので、早めに上げておきました。

で、ついに床上まで来て、くるぶしまで浸水すると、水の勢いが弱まり、ゆーっくりと水位が減っていきました。僕は水害というと、ずっとびちゃびちゃなのかと思っていたのですが、水は入ってくる時も早いのですが、出て行くときもなかなか早いです。

水かさがこれ以上増えないと思うと、すごくほっとしました。家の外の水位も膝くらいまで下がっていたので、サンダルをはいて外に出てみました。その時の写真です。

水害

ふと見ると、車庫に止めていた自家用車が3台とも流されていました。一瞬にして、車が使えなくなりました。3台とも親の所有物なので、僕の車が水没したということではないのですが、それでもすごくショックでした。あれだけいろいろなところに乗って行った思い出深い自動車が、ぷかぷかと水面に浮いているのです。水のすごさを見せつけられました。

茫然としていると、駐在さんがやってきて、「雷もまだあるみたいだし、落雷や2次災害にあうといけないので、すぐに家に戻ってください!」と怒られてしまいました。確かにその通りです。車をそのままにして(国道のど真ん中に、車は流されていた・・)、すぐに家に戻りました。

2階で初めて激流を見たときに、弟に電話をかけて、何度も状況を報告していました。父には、「こんなときに電話なんかするな!」と怒られましたが、今から考えると災害の外にいる人に早めに報告することはいいことだな、と思います。弟に連絡することによって、ほかの町内の人の安否を確認できた、ということがありました。

というわけで、ひとまず大丈夫なことを弟に告げ、その日は「水のシャワー」(お湯が出なくなった)を浴びて、寝ることにしました。だいたい深夜1時だったと思います。僕は割と気楽な性格なので、そんな早く寝てしまいましたが、両親は深夜4時まで、ほかの人も5時、6時まで起きていたという話も聞きました。

さて、衝撃の2日目は次のエントリーに書こうと思います。

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